革新と実直で歩んだ90年―
100年へ向けてさらなる技術向上を目指す
1926
黎明期 大正から昭和初頭楠橋紋織の歴史は、創始者・楠橋俊夫が1926(大正15)年に16歳で宇和島織物検査所に勤務したことから始まったといえます。織物技術を磨きわずか17歳で技術指導員にまでなった俊夫は、1931(昭和6)年に父・三郎治、兄・秀雄らとともに「楠橋三郎治工場」を創設しました。七夕伝説にちなんで創業記念日を7月7日に、シンボルマークをダブルスターとしてタオル生産事業を開始。大阪での販路開拓や今治地域で初めてとなるジャカード織物の導入、国内初となる刺繍織装置・ラペット織機を発明(1937・昭和12年)など、順調なスタートを切りました。順風満帆に見えた楠橋紋織でしたが、戦争の激化に伴う統制経済の逆風を受けます。「産業界における新進の意気と技量は刈り取られた」と周囲に語った俊夫は、1944(昭和19)年に召集令状に従い軍役につき、翌年マニラ方面にて戦死を遂げました。
楠橋紋織の歩み
1926(大正15)年 | 創始者・楠橋俊夫が宇和島織物検査所に勤務。 |
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1931(昭和6)年 | 楠橋三郎治工場として創業。織機6台から始まる。 |
1937(昭和12)年 | 国内初の刺繍織物装置・ラペット織機を発明。楠橋紋織織物工場を設立。その後、楠橋紋織工場に社名変更。 |
1942(昭和17)年 | ラペット織機が県の推薦で帝国発明協会から表彰を受ける |
1945(昭和20)年 | 楠橋俊夫がマニラ方面で戦死 |
1946
復興期 昭和初頭俊夫のタオルづくりの情熱を引き継いだのは、兄の秀雄でした。戦中は原材料も不足しており生産を休止していましたが、弟の復員を信じて設備は維持し続けていたのです。戦時下の今治市は米軍の空襲により壊滅的な被害を受け、市内に80以上あったタオル工場も、そのほとんどが焼け落ちました。しかし、今治市郊外にあった楠橋紋織の第一工場は幸運にも戦禍を免れます。24台の織機がそのまま残っており、秀雄の指揮の下、1946(昭和21)年8月に事業を再開しました。戦後の外貨獲得が課題だった日本の中で、秀雄はタオル製品の貿易体制を整え、東南アジアやオーストラリアへ輸出を始めます。
今治のタオル産業は1949(昭和24)年に全国タオル輸出量の80%を占めるなど、大幅な回復を遂げました。地域を牽引する立場にあった楠橋紋織は昭和天皇陛下の行幸を仰ぐことになります。
楠橋紋織の歩み
1949(昭和24)年 | 大阪出張所開設 |
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1950(昭和25)年 | 昭和天皇陛下 行幸 |
1951(昭和26)年 | 楠橋紋織工場を現在の「楠橋紋織株式会社」に改組 |
1957
最盛期 昭和中期から後期天皇陛下の行幸で社員の意気の上がった楠橋紋織では、タオルづくりの技術研究に積極的に取り組むなど、事業の充実を次々に図っていきます。昭和30年代には国内初ともいわれるプリントタオルの販売を開始し、業界の先陣を切って坂本式自動織機を導入しました。昭和40年代には現在の新社屋、工場、女子寮、社員食堂を竣工するなど職場環境を整備すると同時に、作業場の増築なども行い事業の拡張に力を入れました。タオル業界が高速織機時代に突入した昭和50年代では、革新織機をいち早く本格導入。時代の先端を走り続け今治のタオル業界をリードして行きました。昭和60年代になると今治のタオル業界は最盛期を迎え、約500社が集中立地し、タオル検査数量、織機台数ともに日本一の産地を形成するようになります。
地域産業の旺盛に手応えを感じながら、明治、大正、昭和の激動の時代を生き抜いた秀雄は、1987(昭和62)年にその生涯を終えました。
楠橋紋織の歩み
1957(昭和32)年 | 国内初となるプリントタオルを発売(諸説あり) |
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1959(昭和34)年 | 坂本式自動織機を国内で真っ先に導入 |
1972(昭和47)年 | 楠橋秀雄が今治商工会議所会頭に就任 |
1980(昭和55)年 | 革新織機本格導入。高速織機時代の幕開け |
1983(昭和58年) | 楠産業株式会社設立 |
1987(昭和62)年 | 楠橋秀雄永眠 |
1988(昭和63)年 | 東京オフィス開設 |
1991
転換期 平成以降 革新的な試みで楠橋紋織はタオル産地のトップ企業として発展を続け、1991年には売上高74億円を達成します。この額は当時の今治市の予算を超えるものでした。しかし、バブル経済が崩壊すると、安価な海外製タオルの輸入品が増え始め、2000年代には最盛期の5分の1にまで生産量が激減するなど、今治のタオル業界は苦境に立たされることになります。そんな中、楠橋紋織は中国に工場を設けて生産体制の最適化を図ります。2006(平成18)年に経済産業省の「JAPANブランド育成支援事業」に今治タオルが採択され、「今治タオル」のブランディングに世間の注目が集まると、楠橋紋織でも自社ブランドの開発に力を入れ始めました。また、ケミカルフリーでCO2排出量を大幅に削減した技術の実現(*開発者は大阪府立大学名誉教授 農学博士・坂井拓夫氏)や、天然オリーブ成分加工と化学薬品の大幅削減によりCO2削減を可能とした技術の確立など、地球環境に配慮した先進的な取り組みにも着手しました。
これまで培ってきた歴史と技術を生かしながら、時代のニーズを満たす商品開発や地域社会の発展に注力し、2031年の創業100周年に向けて楠橋紋織は歩みを続けます―。
楠橋紋織の歩み
1991(平成3)年 | 売上高74億円を達成 |
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1995(平成7)年 | 中国南通工場操業開始 |
2006(平成18)年 | ケイ・エンブロイ設立。刺繍に力を入れる しまなみセンイ協同組合設立 |
2011(平成23)年 | 「新バイオ精練 コットン・エコロジー加工」で革新技術賞を受賞 |
2017(平成29)年 | 森田MiWとのコラボブランド「moritaMiW」の販売開始 |
2018(平成30)年 | 高級タオルブランド「ROYAL-PHOENIX of the seas」の販売開始 |
2022(令和4)年 9月 | ISO9001(品質マネジメントシステム)、ISO14001(環境マネジメントシステム)、ISO45001(労働安全衛生マネジメントシステム)に関する国際規格認証取得 |
2022(令和4)年 12月 | SHIMA SEIKIのシマ自動タオルヘム裁断機SATC90を導入 |
2023(令和5)年 1月 | SDGs宣言 |
2031年 | 楠橋紋織が創業100周年 |